東西茅野林野酉の蔵
茅野林野利用農業協同組合(組合長伊藤正博)及び西茅野林野利用農業協同組合(組合長伊藤安昭)(総称「東西茅野林野」という。)はこの度「宮川茅野土地区画整理事業」に伴い東西茅野林野が所有する「東西茅野林野酉の蔵」を移転する必要が生じ、平成24年に「酉の蔵移転検討委員会」(委員長五味公穂)を立ち上げ検討してきた結果この地に移転改築することとし、ここに竣工式を挙行することができた。
(歴史的経緯)
江戸時代の慶長の頃この地域は、「千野村」といい、その村域は現在の茅野、西茅野、坂室、両久保の地域である。
江戸時代「酉の蔵」の旧位置が千野村の旦那寺であった「千松庵」(現在の宗湖寺の位置にあったお寺)の「酉(西)」の方角にあるお蔵ということで、「酉の蔵」と言っていたと伝えられている。
江戸時代は現在の茅野区内の西町にあり、諏訪藩の年貢米の倉庫及び収納場所と千野村の集会場となっていた
明治以降昭和30年に茅野区の公民館が新築されるまでは公民館の役割を担っていた。
(建物について)
天保14年(1843年)に建設したとの記録があり、建築当時の建物の構造は広間と蔵が合体した「建てぐるみ」という形式を採っていた板倉である。昭和40年に三輪社境内に解体移転をした際に「蔵」のみになり、今回の建設に当たって柱など主要なものについて江戸時代の資材が利用できるものは使用している。
今回この蔵には「酉の蔵」にちなみ鷹と鶏の「鏝絵(下平悟氏作成)」を施している。
(古文書等の整理について)
平成4年より東西茅野林野において古文書の整理委員を委嘱し、平成14年までの間延べ1000人の手を経て第1次の整理を行った。
現在、酉の蔵には茅野市の有形文化財である慶長時代から昭和までの古文書や宮川村当時の行政文書など整理が済んだ書類5864点や区内の古墳から出土した鏃、馬具、直刀などを収蔵している。
茅野市有形文化財(4点)の内容
● 定 = 諏訪頼水の諸役免許の証文 慶長15年(1610年)
● 千野草山 = 入会地確定の証文 寛永17年(1640年)
● 大沢山 = 入会地確定の証文 寛永18年(1641年)
● 千野村・金澤町山論裁許之覚 = 千野村に入会権が認められた証文
延宝 6年(1678年)